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広島家庭裁判所尾道支部 昭和59年(少)587号 決定 1985年4月25日

少年 M・I子(昭四一・九・一八生)

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

本件送致事実の要旨は、「少年は、昭和五九年一二月一〇日午後五時ころ、三原市○○町××番地の×○○山々中の○○川水取堰堤北側山道付近において、A子(当時一三歳)を殺害しようと決意し、所携の電気コード(両端を切断した長さ約一五二センチメートルのもの)を同女の後方から同女の首に巻きつけてその後部で交差させ左右に強く引つ張つて絞めつけ、窒息状態のまま同女を同堰堤池内に転落させ、よつて同女を溺水に基く窒息により死亡させたものである。」というものである。

一件記録によれば、右の事実を認めることができる。しかし、以下に述べるとおり、少年は右行為当時精神の障礙により事物の理非善悪を弁識し、右弁識に従つて行動する能力を欠く心神喪失の状態にあつたものと認めることができる。

本事件の特徴は、少年が被害者を殺害する動機として合理的に納得し得るに足る事情がみあたらないことである。少年は、検察官に対し、犯行当時被害者を殺して自分も死んで白くきれいな安らかな世界へ二人で行つて平和になりたかつた等と述べているが、もとより殺人者の一般的心理としては不可解である。

少年は人歳のころ偶々隣家となつたB家の一人娘で五歳下の被害者A子と女児同士仲良くなり、同女をかわいがつていたが、少年が中学校に入学したころから帰宅時間の差や交遊関係の変化等のためほとんど遊ぶこともなくなり、高校生になつてからも特に接触はなかつたところ、昭和五八年の二年生の夏ころ両親に対し「この土地はたたりがある。引つ越ししたい。」等と訴え、「A子ちやんの事が頭から離れない。」とも言い、突然家出する等したため、驚いた両親が精神科医に相談し、少年を他所に下宿させる等して、しばらく落ち着いたかのようであつたものの、昭和五九年の夏ころ再び少年は「引つ越ししたい。A子ちやんが自分の幸せをとつた。勉強できない。」等と訴えるとともに、激しやすく物を投げる等し、父や弟と激しい喧嘩口論に及ぶ反面、うつろな目つきで自宅内を徘徊し、ピアノの音もしないのに「A子ちやんのピアノがうるさい。」等と言い出したこと等から、両親はあちこちの精神科医に相談に行き、少年を伴つて診察を受けた○○病院で思春期妄想症、精神分裂病の初期の疑いとの診断を受け、長期治療を指示されたが、少年が服薬をいやがつたことから受診も服薬も中断してしまい、その後少年が被害者宅の周辺を徘徊したり、被害者宅にピアノがうるさいとどなり込んだり等の事態を経て、少年の進学問題で父と激しく衝突口論して後少年が夢遊病者のようにうつろな状態でいるのを両親が心配していたさなかに、本事件が発生した。犯行直後少年はいわゆる首つり自殺を図つたが失敗して錯乱状態でいるところを保護された。

検察官の委嘱した簡易鑑定結果によれば、少年には自閉傾向、両価観念、思考奪取、思考吹入、関係妄想、離人症、強迫思考、感情不安、思考化声、頭内蟻走感、思考障害、感情障害の症状がうかがわれ、精神分裂病の疑いが存すると同時に、幼時の頭部外傷経験、遠近感の違和感、両手の痺れ感、頭痛等の訴えもあり、てんかんの疑いも存するので、精査の必要があるとされている。

当裁判所の嘱託による鑑定結果によれば、諸検査では少年の身体的所見に異常はなく、てんかんや頭部外傷後遺症は否定されている。さらに、少年には中学三年生のころにいわゆるいじめの被害による被害関係念慮、注察念慮、自我意識の崩れ(同級生の女子との一心同体感)、幻視様の体験等が生じており、高校二年生になつて妄想気分様の恐怖感、注察妄想、思考奪取、幻聴、身我障害(被害者との一心同体感)、両価性の感情(被害者を好きでたまらないけど嫌い)、強迫症状(整理整頓が異常に気になる等)が生じ、次第に増悪し、被害者の事が頭から離れなくなり、焦躁感が募り、感情不安定となり、精神的に行き詰まつて家出等をし、高校三年生になるとさらに悪化し、自我障害による被害者との一体感、両価的感情、離人症状と思われる現実感の喪失(自分のしていることに実感がなく他人事の様)、独語、願望充足的な内容の空想的な幻視(被害者と二人だけの清らかな世界が見える)、自閉的傾向が著明となり、犯行当日に至つたものと考えられるとし、このような少年の病的所見を総合すると、少年には人格としての崩れが少なく、疎通性の良いことや幻視あるいは夢幻様状態等定型的な精神分裂病とは異質な面もみられるけれども、全体として精神分裂病圏内にあるものと考えられ、少くとも分裂病症状を呈する青年期の精神障害に罹患しているものと考えられるとしている。そして、少年は犯行当日は朝から被害者と二人だけの白いきれいな不思議な世界がずつと見えていたもので、この願望充足的な夢幻様状態の中で精神分裂病性の症状による幻覚妄想に支配され、被害者の殺害という現実認識に乏しいまま、二人だけの世界に行くという病的観念に基き、理非善悪の弁別能力を喪失した状態で本件犯行が敢行されたものと考えられるとしている。

広島少年鑑別所の鑑別結果によれば、少年には心理学的諸検査でも明らかに妄想を主徴とする反応が見られ、行動観察でも幻覚の現われたことが確認される等諸状況を総合すると、精神分裂病が疑われ、精神医学的な治療措置に委ねることが適当であると判定している。

○○○○医師及び○△○○医師は、被害者が本件犯行の対象として選ばれた理由については、追想妄想ないし関係妄想によるとの説明の余地がないではないが、むしろ分裂病の思考の特徴である根拠もなく生じた唐突な発想によるのではないかとしており、少年にとつて犯行の対象は状況次第によつては必ずしも被害者でなければならなかつたものとも断じ難い旨指摘しており、また少年の現症状について、妄想や幻覚等目立つ陽性症状はおさまつてきているが、本件犯行自体の記憶はうすれて罪悪感も抽象的には口にするものの現実感に乏しく、感情の鈍麻が顕著であり、年齢的にみて幼稚にみえる等人格的な退行現象がみられ、思考面感情面の障害は従前のとおりであまり変化はない旨述べ、今後の点については、犯行に関して罪悪感が現実感を取り戻すことがあるかどうか定かでないが、戻つてきた場合には自殺の心配が出て来ることになる旨、当面必要なのは少年に対する的確な治療及び両親に対する適切な指導であり、寛解の可能性はあるもかなり長期にわたるものと予想される旨述べている。

ところで、少年には本件犯行の際電気コードを用意する等合目的的言動が存し、捜査段階当時犯行状況に関するかなりの記憶が残つていたことが認められるが、この点について、○○○○医師は、過去の豊富な鑑定経験をもとに、分裂病患者の犯行は必ずしも支離滅裂な外形をとるものばかりではなく、場合によつては分裂性の思考感情に基く行動が通常人からみて一見合理的合目的的ともみえることは多々あり得ることであり、また、分裂病患者は犯行状況を詳細に記憶している場合がむしろ多い旨述べ、本事件における少年についても、右の合目的的言動や記憶の存在によつて、分裂病性の精神障害に基く病的思考感情による支配が滅殺されるものとはいえないとの趣旨の見解を示している。

以上によれば、少年は犯行の約一年余前ころから異常な言動が目立つようになり、遅くとも高校二年生の夏ころには精神分裂病性の精神障害を発病し、適切な治療も受けられないまま増悪させていつたものと認められ、少年と被害者は隣家とはいえ少年が中学生になつて以降ほとんど接触はなく、何らの確執の片鱗すらうかがえないのであり、本件犯行は被害者にとつては全くあずかり知らぬ予想外の出来事であり、ひとり少年の病的妄想観念の支配下における病的動機に起因するものであつたといえ、本件犯行当時少年は精神の障礙により事物の理非善悪を弁識し、この弁識に従つて行動する能力を欠く心神喪失の状態にあつたものというべきである。

従つて、少年は保護処分の対象としての適格性を欠くから、保護処分に付することはできないものというべきである。

なお、少年については、すでに広島少年鑑別所長から広島県知事に対し、精神衛生法二六条による通報がなされ、精神衛生鑑定医による診察の結果、退所となる場合には、同法二九条の入院措置がとられる予定になつている。

よつて、少年法二三条二項により主文のとおり決定する。

(裁判官 矢延正平)

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